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真田信繁(幸村)は一夫多妻 [大河ドラマ]

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  真田信繁(幸村)は一夫多妻

真田信繁は四人の嫁をもらっています。戦国時代ですから人質に出したり、戦の

戦力に役立てたりして沢山の嫁や子が必要だったのですね。でも真田信繁は長男

でなく次男、後継ぎでもないのにそんなに必要だったのでしょうか。それは戦で

いつ死ぬか分かりませんので、次男でも後継の準備をしていたのですね。 

父・昌幸は三男で真田の跡継ぎ     03.jpeg

実際、真田信繁の父・真田昌幸は、真田幸隆の3男で、武藤家の養子に出されてい

ましたたが、2人の兄・真田信綱と真田昌輝が長篠の戦いで揃って討死したため、

武田勝頼から真田家を継ぐようにと命じられたのです。兄2人が存命であったな

らば、真田家も武田勝頼と共に滅亡していたかも知れず、真田昌幸の優れた軍略

も発揮することなく、埋もれた武将になったかも知れません。


   02.jpeg    側室が最初の嫁、その後正室

最初の嫁は堀田小梅ですが真田家家臣の足軽の妹で、身分が低く正室扱いされま

せんでした。その後豊臣秀吉の家臣大谷吉継の娘を嫁にもらい、嫡男を生んだた

め竹林院が正室扱いされました。現代と違い家を維持するため一夫多妻が常識の

戦国時代、ご多分に漏れず信繁も四男七女をもうけてますが、大阪冬の陣までは

たいした功績もないので,ただの好き者でもあります。

    嫁(氏名は諸説有り)と子供     05.jpeg


正室 竹林院(大谷吉継の娘)二男三女 本名は利世、

       最初の嫁ではないが嫡男を生んだため正室扱い

側室 隆清院(豊臣秀次の娘、実名不明)一男一女

       豊臣秀次は側室多く母親も不明

   小梅 一女、(真田家家臣・堀田作兵衛の妹)最初の嫁

   采女(うめね)別名きり 二女、(真田家家臣・高梨内記の娘)
   
      ○母不明の四男有り


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